新法では,相殺に関しては,(1)相殺制限特約を第三者に対抗するための要件,(2)相殺禁止の範囲,(3)相殺の充当について改正が行われています。これらの改正事項のうち,(2)の改正事項である,民§509における相殺禁止の範囲の縮小が,実務に与える影響が大きいといわれています。
相殺制限特約を第三者に対抗するための要件
旧法 | 新法 |
【505条】(相殺の要件等) 2項:前項の規定は,当事者が反対の意思を表示した場合には,適用しない。ただし,その意思表示は,善意の第三者に対抗することができない。 |
【505条】(相殺の要件等) 2項:前項の規定にかかわらず,当事者が相殺を禁止し,又は制限する旨の意思表示をした場合には,その意思表示は,第三者がこれを知り,又は重大な過失によって知らなかったときに限り,その第三者に対抗することができる。 |
変更点
相殺制限特約を第三者に対抗するための要件が見直され,第三者が「悪意又は重過失」である場合に相殺制限特約を対抗することができるとしました(新法§505Ⅱ)。
譲渡制限特約を第三者に対抗する場面と類似していることに鑑み,これと平仄を合わせた改正です。
なお,旧法の「当事者が反対の意思を表示した場合」との文言が,新法では,「当事者が相殺を禁止し,又は制限する旨の意思表示をした場合」との文言に変更されていますが,これは文言の意味内容を具体化し,分かりやすくするための改正です。
要件事実
YがAから相殺禁止の合意のある債権を譲り受けてXとの間で相対立する債権を有するに至った。そこで,YはXに対しその債権に基づき相殺を主張した。
相殺禁止の範囲
民§509
旧法 | 新法 |
【509条】(不法行為により生じた債権を受働債権とする相殺の禁止) 債務が不法行為によって生じたときは,その債務者は,相殺をもって債権者に対抗することができない。 |
【509条】(不法行為等により生じた債権を受働債権とする相殺の禁止) 次に掲げる債務の債務者は,相殺をもって債権者に対抗することができない。ただし,その債権者がその債務に係る債権を他人から譲り受けたときは,この限りでない。 一 悪意による不法行為に基づく損害賠償の債務 二 人の生命又は身体の侵害による損害賠償の債務(前号に掲げるものを除く。) |
相殺の受働債権とすることができない損害賠償請求権の範囲
旧法では,不法行為に基づく損害賠償請求権を受働債権とする相殺は一律に禁止されていました(旧法§509)。
しかし,新法では,①悪意による不法行為に基づく損害賠償請求権を受働債権とする相殺と,②人の生命・身体の侵害による損害賠償請求権を受働債権とする相殺のみを禁止しています(新法§509柱書本文)。
なお,ここでいう「悪意」(①)とは,単なる故意を越え,積極的加害意思を意味します。
このように相殺禁止の範囲が縮小された理由は次のとおりです。
旧法が一律に不法行為に基づく損害賠償請求権を受働債権とする相殺を禁止していた趣旨は,㋐不法行為の被害者に現実に弁済を受けさせ,その保護を図ること,及び㋑債権者による不法行為の誘発を防止することの2点にありました。
しかし,この趣旨は,不法行為一般に妥当するとはいえません。
例えば,AとBが双方の過失で交通事故(物損)を起こし,相互に不法行為債権を有しているものの,Bが無資力だったという場合を想定してください。
このような過失による不法行為に基づく損害賠償請求権については,相殺を許しても不法行為を誘発することはないので,積極的加害意思によって不法行為が行われた場合に限って,それによる損害賠償請求権を受働債権とする相殺を禁じれば十分です。
また,上記の例の場合,旧法の規律に従うと,相殺ができないので,(資力のある)Aは,自己の債務を全額弁済したのに,Bから自己の債権の弁済を受けられないという事態が生じてしまいます。
このような帰結は,当事者間の公平を欠くといわざるを得ず,かえって被害者保護に悖ります。
そこで,治療費や就労不能になっている間の生活費等に充てるために現実に金銭を受領することが不可欠な,人の生命・身体の侵害によって損害賠償請求権が発生したケースを除けば,相殺を認めても,㋐の趣旨には反しないと考えられます。
(財物が毀損されたに過ぎない場合は,現実に金銭を受領できないことで,その財物を修理することできず,日常生活に不便が生じるかもしれませんが,その所有者の生存が脅かされるという事態にまでは通常発展しません。)
そうして,新法は,①悪意による不法行為に基づく損害賠償請求権を受働債権とする相殺と,②人の生命・身体の侵害による損害賠償請求権を受働債権とする相殺のみを禁止し,それ以外の相殺を相殺禁止の対象から外すことにしました。
なお,②が「人の生命・身体の侵害による『不法行為に基づく』損害賠償請求権」ではないことに注意してください。
すなわち,不法行為に基づく損害賠償請求権だけでなく,債務不履行に基づく損害賠償請求権(ex. 安全配慮義務違反)も,それが人の生命・身体の侵害によって発生したものである場合には,相殺の受働債権とすることが禁じられているのです。
被害者に現実に金銭を受領させる必要性は,損害の原因が不法行為であろうと債務不履行であろうと異ならないからです。
相殺の受働債権とすることができない損害賠償請求権を譲り受けた場合
ただし,相殺の相手方が,①悪意による不法行為に基づく損害賠償請求権や②人の生命・身体の侵害による損害賠償請求権を「他人から譲り受けた」に過ぎない場合には,そのような債権を受働債権とする相殺は禁止されません(新法§509柱書但書)。
このような場合には,㋐現実の弁償による被害者保護や㋑不法行為の誘発の防止といった相殺禁止の趣旨がもはや妥当しないからです。
民§511
旧法 | 新法 |
【511条】(支払の差止めを受けた債権を受働債権とする相殺の禁止) 支払の差止めを受けた第三債務者は,その後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することができない。 |
【511条】(差押えを受けた債権を受働債権とする相殺の禁止) 2項:前項の規定にかかわらず,差押え後に取得した債権が差押え前の原因に基づいて生じたものであるときは,その第三債務者は,その債権による相殺をもって差押債権者に対抗することができる。ただし,第三債務者が差押え後に他人の債権を取得したときは,この限りでない。 |
差押え前の債権取得(新法§511Ⅰ)
旧法§511は,差押え後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することができないと定めています。
では,逆に,第三者が差押え前に取得した債権であれば,これによる相殺を無制限に差押債権者に対抗することができるのでしょうか。
旧法§511の文言からは,この点について明らかではありませんでした。
そのような中,判例は,立場に変遷があったものの,最終的に,自己の有する債権が差押え前に取得したものである限り,第三債務者は,自働債権と受働債権の弁済期の先後を問わず,相殺を対抗することができるとの見解(「無制限説」)を採用するに至りました(最判昭和45年6月24日)。
そこで,新法においても,無制限説に依拠していることを明確にするために,「差押え前に取得した債権による相殺をもって対抗することができる。」との文言を追記しました(新法§511Ⅰ)。
差押え前の原因に基づく債権の発生(新法§511Ⅱ)
また,そもそも旧法§511の趣旨は,差し押さえられた債権について第三者が合理的な相殺の期待を有する場合にはそれを保護することにありました。
このような合理的相殺期待の保護の趣旨が妥当するのは,第三債務者が差押え前に自働債権を取得していた場合に限られません。
すなわち,差押えの時点では自働債権が発生していなくとも,契約等の債権の発生原因となる行為が差押え前に生じておれば,債権発生後に相殺をすることにより自己の債務を消滅させることができるとの期待は合理的なものとして保護に値するといえます。
そこで,新法では,差押え後に取得した債権が差押え前の原因に基づいて生じたものである場合であっても,これを自働債権とする相殺を差押債権者に対抗することができることを明らかにするため,その旨の規定を新設しました(新法§511Ⅱ本文)。
一方で,第三債務者が差押え後に他人の債権を取得した場合には,当該債権が差押え前の原因に基づいて生じたものであったとしても,差押えの時点で相殺の期待を有していたとはいい難いので,当該債権を自働債権とする相殺を差押債権者に対抗することはできません(同項但書)。
確認問題〔相殺制限特約・相殺禁止〕
新法に基づいて回答してください!(全3問)