改正の骨子
そもそも補償契約とは?
「補償契約」とは、役員等(取締役、会計参与、監査役、執行役又は会計監査人[1])が、その職務の執行に関し[2]、法令の規定に違反したことが疑われ、又は責任の追及に係る請求を受けたことに対処するために支出する費用(「防御費用」[3]) や、第三者に生じた損害を賠償する責任を負う場合における損失(賠償金・和解金)の全部若しくは一部 を、株式会社が当該役員等に対して補償することを約する契約のことです[4]。
補償契約には、①優秀な人材の確保、②職務執行の萎縮の防止、③適切な防御活動による会社の損害拡大の阻止という3つの意義が認められ、近時は、外国人役員等の任用の観点から、特に①が強調される傾向にあります[5]。すなわち、先進国企業(特に米国企業)においては、会社補償が導入されていることが通常であって、会社補償が導入されていないことが優秀な人材を確保する(①)上で障害となり得ることから、国外の優秀な人材を確保する上では、先進国企業と足並みを揃えるために会社補償を導入することが奨励されているのです。
また、補償契約は、その構造上、補償契約を締結する株式会社と役員等との間に利益相反関係が認められるところ、既存の利益相反取引規制(改正法§356Ⅰ②,§365,§419Ⅱ)は厳格なものであって[6]、当該規制が適用されるとすれば、上記の補償契約の利点を殺してしまいかねません。
そこで、本改正では、補償契約を正面から規律する規定がなかったため[7]、既存の利益相反取引規制の適用は排除することとして(改正法§430の2Ⅵ)[8]、新たに以下で詳説する規律を設けることによって、上記の補償契約の利点との調和を図りつつ、補償契約の内容等の適正性を担保することとしました。
[1] 改正法§423Ⅰ。責任限定契約と異なり、業務執行取締役等や執行役が対象から除かれていません(現行法§427Ⅰ参照)。
[2] 「職務の執行に関し」とは、株式会社の役員等としての職務の執行に関連性を有することをいうと解されています。改正法§854Ⅰ柱書においても、同様の文言が用いられており、同項の解釈論が参考になると考えられています。なお、同項の「職務の執行に関し」は、職務の執行自体だけでなく、その職務に直接・間接に関連してされた場合を含むものと解されています(竹林俊憲『一問一答 令和元年改正会社法』(商事法務・2020年)108頁、酒巻俊雄=龍田節編『逐条解説会社法 第9巻 外国会社・雑則・罰則』(中央経済社・2016年)330頁)。
[3] 防御費用には、役員等が法令違反の嫌疑や責任追及等に対処するために個人で起用した代理人弁護士の費用や専門家に鑑定を依頼した場合の鑑定費用、その他調査・防御のために要する費用(役員等自身又は代理人弁護士等の出張旅費等)が含まれると解されています(塚本英巨「令和元年会社法改正の意義(4)会社補償・D&O保険の実務対応」旬刊商事法務2233号32頁)。
[4] 竹林俊憲『一問一答 令和元年改正会社法』(商事法務・2020年)102頁。
[5] 高橋陽一「令和元年会社法改正の意義(4)会社補償および役員等賠償責任保険(D&O保険)」旬刊商事法務2233号18頁。
[6] ①取締役会設置会社においては取締役会の承認(取締役会非設置会社においては株主総会の承認)及び当該取引後の重要な事実の報告が必要となり(現行法§365,§356Ⅰ,§419Ⅱ)、②当該取引によって株式会社に損害が生じた場合における当該取引に関わる取締役又は執行役の任務懈怠が推定されることになり(現行法§423Ⅲ)、③補償契約を締結した取締役又は執行役は無過失であることをもって、現行法§423Ⅰの責任を免れることができないものとなり(現行法§428Ⅰ)、④当該補償契約を締結した取締役又は執行役の現行法§423Ⅰの責任については現行法§425~§427に基づく免除又は責任限定契約による責任の軽減は認められないものとなります(現行法§428Ⅱ)。
[7] 現行法下においても、例えば、取締役が第三者から損害賠償請求の訴訟を提起された場合において、当該取締役に過失がなければ、会社法§330・民法§650Ⅲに基づき、当該取締役が要した費用の補償が認められると解されていますが、補償の範囲や手続等が不明確です。
[8] 民法§108の適用も排除されています。
補償契約の内容を決定する手続
⑴ 補償契約の内容の決定
本改正により、株式会社が補償契約の内容を決定するには、株主総会(取締役会設置会社にあっては、取締役会)の決議によらなければならない旨の規定が新設されました(改正法§430の2Ⅰ)。
補償契約の内容の決定は、取締役会設置会社において、取締役会から取締役等にその決定を委任することができない事項と解されています(改正法§399の13Ⅴ⑫,§416Ⅳ⑭参照)[1]。
また、取締役会設置会社において、補償契約の内容を取締役会で決議する場合は、補償契約の相手方となる取締役は「特別の利害関係を有する取締役」(改正法§369Ⅱ)に該当することになるため[2]、当該取締役は議決に参加することができません。複数の取締役と補償契約をし、相手方となる取締役らが特別利害関係取締役として取締役会の議決から外れる結果、取締役会の定足数を充足しなくなる場合には、相手方となる取締役らの中から1名ずつ議決から外れ、それ以外の取締役で、順次、別個に議決するなどの措置をとる必要があります。
なお、補償契約の内容が決定された場合には、当該決定に基づいて対象の取締役と補償契約書を取り交わすことになりますが、補償契約書を作成するにあたっては、TMI総合法律事務所がひな型を公開しているため、これをベースに作成することも考えられます。
⑵ 補償契約に基づく補償の実行
なお、改正法上、実際に補償契約に基づく補償を実行することの決定については、株主総会(取締役会設置会社にあっては、取締役会)の決議を得ることは要求されていませんが、補償の実行に係る決定が「重要な業務執行の決定」(改正法§362Ⅳ柱書)に該当する場合は、取締役会設置会社においては、取締役会決議を得る必要があることには留意しておいた方がよいでしょう。
[1] 塚本英巨「令和元年会社法改正の意義(4)会社補償・D&O保険の実務対応」旬刊商事法務2233号35頁。
[2] 会社法研究会「会社法研究会報告書」(2017年3月2日)25頁。
補償できない費用等に関する規律等
⑴ 補償できない費用等に関する規律
本改正により、以下のいずれかに該当する場合については、補償することができない旨の規定が新設されました(改正法§430の2Ⅱ①~③)。
⑵ 1.について
防御費用のうち通常要する費用の額を超える部分については、補償することができず、補償した場合も当該部分は無効になります(改正法§430の2Ⅱ①)。
「通常要する費用の額」とは、役員等が、その職務の執行に関し、法令の規定に違反したことが疑われ、又は責任の追及に係る請求を受けたことに対処するために支出する費用(「防御費用」)として必要かつ十分な程度として社会通念上相当と認められる額をいいます。そして、その具体的な額は、役員等の責任を追及する訴えに係る事案の内容その他諸般の事情を総合的に勘案して、客観的に通常必要とされる金額をいうと考えられています[1]。
防御費用については、(賠償金や和解金と違って、)役員等がその職務を行うにつき悪意又は重過失があった場合でも、補償の対象となります[2]。防御費用を株式会社が負担することが、当該会社の損害の拡大の抑止等につながり、当該会社の利益になることもあり、また、防御費用を株式会社が負担しても、通常、当該役員等の職務の執行の適正が損なわれるおそれが高いとまではいえないと考えられるからです。
ただし、役員等が不当な目的で職務を執行していたような悪質な場合であっても、株式会社の費用で防御費用が賄われることとすると、役員等の職務の執行の適正性が損なわれるおそれがあります。
そこで、一旦、防御費用について補償がなされた場合であっても、株式会社が、事後的に、当該役員等が自己若しくは第三者の不正な利益を図り、又は当該株式会社に損害を加える目的で職務を執行したことを知ったときは、当該役員等に対し、補償した金額に相当する金銭を返還することを請求することができることとされました(改正法§430の2Ⅲ)[3] [4]。
[1] 竹林俊憲『一問一答 令和元年改正会社法』(商事法務・2020年)111頁。なお、「通常要する費用の額」の解釈に関しては、改正法§852Ⅰの「相当と認められる額」の解釈論が参考になると考えられています(竹林俊憲『一問一答 令和元年改正会社法』(商事法務・2020年)111頁)。
[2] 補償契約の内容として、役員等がその職務を行うにつき悪意又は重過失があった場合には、株式会社が防御費用を補償しない旨定めておけば、役員等がその職務を行うにつき悪意又は重過失があった場合には、株式会社が防御費用を補償しないことができます(竹林俊憲『一問一答 令和元年改正会社法』(商事法務・2020年)113頁)。
[3] 株式会社が、役員が自己若しくは第三者の不正の利益を図り、又は当該会社に損害を与える目的で職務執行をしたことを知ったにもかかわらず、補償した費用の返還請求をしない場合は、そのこと自体が善管注意義務違反になる可能性があります(東京地判平成16年7月28日参照)。
[4] 補償金返還請求権の法的性質は不当利得返還請求権ではなく、特別な法定の請求権であると解されています。また、補償金返還請求権は株主代表訴訟の対象となると解されています。株主代表訴訟の対象となる取締役の責任には、①「取締役の地位に基づく責任」のほか、②「取締役の会社に対する取引債務」についての責任も含まれるところ(最判平21年3月10日民集63巻3号361頁)、補償金返還請求権は、①・②のいずれにも当たり得ると考えられるためです(高橋陽一「令和元年会社法改正の意義(4)会社補償および役員等賠償責任保険(D&O保険)」旬刊商事法務2233号20頁)。
⑶ 2.について
株式会社と役員等が連帯して第三者に対して損害賠償責任を負うようなケースにおいて、当該株式会社が当該第三者に対して損害を賠償した場合には、当該株式会社は、当該役員等に対して求償することができる部分[1]については、補償することができないこととされています(改正法§430の2Ⅱ②)。
求償可能な部分について補償を認めると、実質的に当該役員等の当該株式会社に対する損害賠償責任を免除することと同じことになり、責任の免除・軽減に関する現行制度(現行法§424~427等)が無に帰するからです。
[1] 株式会社が第三者に対して損害賠償金を支払い、役員等に対して求償をする場合の根拠は、通常は改正法§423Ⅰに基づく役員等の損害賠償責任です。そして、当該株式会社と当該役員等(非業務執行取締役等を除く)との間で責任限定契約を締結している場合でない限りは 、当該株式会社が第三者に対して支払った損害賠償金の全額を当該役員等に求償することができるのが原則であると考えられています(高橋陽一「令和元年会社法改正の意義(4)会社補償および役員等賠償責任保険(D&O保険)」旬刊商事法務2233号20頁)。一方、当該株式会社と当該役員等との間で責任限定契約を締結している場合は、当該株式会社が第三者に対して支払った損害賠償金額のうち、当該責任限定契約により当該役員等が賠償する責任を負わないこととされた部分については、当該株式会社は当該役員等に対して求償することができないので、当該部分については補償可能となります。
⑷ 3.について
役員等がその職務を行うにつき悪意又は重過失があったことにより第三者に対して損害を賠償する責任を負う場合における賠償金及び和解金については、補償することができないこととされています(改正法§430の2Ⅱ③)。
したがって、改正法429Ⅰの対第三者責任が肯定された場合は、補償することは認められず[1]、補償が認められるのは、第三者との関係で民法上の不法行為責任(民法§709等)が成立するような場合であって、しかも、役員等に軽過失しかないと認定可能な場合に限られることになります。
なお、補償を実行することが必要となる段階において、裁判所等による重過失の認定が存在するとは限らないため、重過失の有無を取締役会自ら判断しなければならない場合があります。重過失の認定は容易ではないため、適切に重過失を認定するためのスキームを検討・構築しておくことが実務上課題となります。
防御費用の補償 | 賠償金・和解金の補償 | |
補償の範囲 | 「通常要する費用の額」 | 制限なし |
役員等が悪意・重過失 | 可能 (ただし、役員等に図利加害目的がある場合は返還請求可能) |
不可 |
相手方 | 制限なし | 第三者からの請求のみ(株主代表訴訟や会社からの請求は含まれない) |
刑事手続・行政手続 | 対象となる | 罰金や保釈保証金、課徴金は補償の対象外[2] |
[1] 改正法§429Ⅰの責任が肯定された場合であっても、会社補償を認める余地があると述べるものとして、高橋陽一「令和元年会社法改正の意義(4)会社補償および役員等賠償責任保険(D&O保険)」旬刊商事法務2233号21頁を参照。
[2] 竹林俊憲『一問一答 令和元年改正会社法』(商事法務・2020年)116頁によれば、損害賠償責任を定める特別法規定の趣旨が、対象役員等自身に納付させることにあるような場合には、補償することが当該規定の趣旨を損なうおそれがあるかどうかという観点から、検討すべきである旨述べます。
会社補償とD&O保険は、いずれも役員等の経済的負担を填補する制度である点や会社と役員等とが構造的利益相反関係に立つ点等で似た制度ではありますが、両制度には相違点があり、相互に補完し合う関係にあります。D&O保険契約を締結している場合も、㋐会社補償を利用することにより、D&O保険でカバーされていない損失について填補対償とすることができること、㋑会社補償を利用することにより、防御費用等の前払いが可能となるなど、D&O保険に比べて機動的な填補が可能となること、㋒D&O保険の支払限度額を引き上げるためには、会社はより多額の保険料を負担する必要があるところ、会社補償を利用することで、そうした負担なく、損失等の填補に対応することが可能となること、㋓国外の優秀な人材の獲得・維持の効果を期待できることなどのメリットがあります。
会社補償(補償契約) | D&O保険 | |
契約当事者 | 当該株式会社と役員等 | 当該株式会社と保険会社 (当該株式会社が保険料負担) |
填補の対象 | 改正法§430の2Ⅱの定めの範囲内で定める | 保険契約にて定める |
填補の範囲 | 改正法§430の2に反しない限りにおいて、損害や費用の全額を填補することが理論上は可能 | 損害や費用の全額を填補することができない場合がある(免責事由や免責金額、支払限度額等に関する保険法上又は契約上の制約等) |
填補の主体 | 当該株式会社から填補される(役員・会社間の構造的利益相反関係がより直接的) | 保険会社から保険金が支払われる(役員・会社間の構造的利益相反関係が間接的) |
費用等の前払 | 可能 | 通常不可 |
取締役会への報告義務
本改正により、補償契約に基づく補償をした取締役・執行役及び当該補償を受けた取締役・執行役は、遅滞なく、当該補償についての重要な事実を取締役会に報告しなければならない旨の規定が新設されました(改正法§430の2Ⅳ,Ⅴ)。
公開会社における事業報告の開示事項の拡充
本改正により、事業年度の末日において公開会社である株式会社等については、次の事項を事業報告の内容に含めなければならない旨の規定が新設されました(改正施行規則§121③の2~③の4,§125②~④,§126⑦の2~⑦の4)。
会計監査人を除く役員等については、事業報告の「会社役員に関する事項」で、会計監査人については、事業報告の「会計監査人の状況」で記載することが想定されます[1]。
事業報告の起案にあたっては、東京株式懇話会「会社法改正の概要と株式実務への影響」(2020年12月4日)45頁の記載例等が参考になります。
[1] 東京株式懇話会「会社法改正の概要と株式実務への影響」(2020年12月4日)44頁。
役員選任議案に関する株主総会参考書類の開示事項の充実
本改正により、役員選任議案に関する株主総会参考書類の開示事項として、候補者との間で補償契約を締結している場合又は締結する予定がある場合は、補償契約の内容の概要を記載しなければならない旨の規定が新設されました(改正施行規則§74Ⅰ⑤,§74の3Ⅰ⑦,§76Ⅰ⑦等)。
経過措置
以上の補償契約に関する新設規定は、改正法の施行後に締結・更新された補償契約に適用されます(改正法附則§6,改正省令附則§2Ⅵ,Ⅹ)。
※ 施行日前に締結・更新された補償契約であっても、当該補償契約に基づいて補償されることがあり得る賠償金又は和解金に係る損失の額の上限金額その他の事情次第では、施行規則§121⑪の「株式会社の会社役員に関する重要な事項」に含まれ、事業報告における開示が必要となる場合があります。
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